第一話

まるで曇りガラスを拭くように、さっと瞬きをする。
あそこはなんて遠い世界だろう。
震える自分の指先を他人のものの様に感じながら、目の前のモニターにそっと手を伸ばす。自分の手なのにとても重い。
硬く冷たいモニターに音も無く触れたが、しかし、指先の感覚は酷く曖昧だった。
ふと次の瞬間、自分の右手はデスクの上に、左手は頬杖をついていることに気付く。
ああ。自分と自分の間に、半音階分のズレ。 モニターに触れるどころか、手を伸ばしてすらいなかったのである。
モニターに写る"彼ら"から目を離せないまま、随分と長い間、スチール製の無愛想な椅子に腰を下ろしたままだった。何か考えようとしても、何も考えられない。ただなんとなく、悲しいような淋しいような、薄い膜のような孤独感だけ。
その孤独感は、ガラスをじとじとと曇らせた。
それをさっと拭くように、また数回瞬きをする。
そう。
まるで曇りガラスを拭くように。
そうだね。この話はさっきもしたね。
小学校の帰り道、私の"小島"という名字が"小鳥"という字に似ていると、誰かが言った。
『コトリはとっても歌が好き』
『かあさん呼ぶのも歌で呼ぶ』
そう歌いながら、みんなは一斉にはやし立てた。
私は母が嫌いでは無かったし、"ことりちゃん"と呼ばれる事が一過性のものだともその時分かっていた。
しかし、その日から私は母親を嫌うようになった。
そして、今でも嫌いだ。
何故母を嫌になったのかは分かっている。みんなにからかわれたのが嫌だったからだ。
その歌の『かあさん呼ぶのも...』が、凄く恥ずかしかったからだ。
それは"小島"という名字が、"小鳥"という字を連想させた、くだらなくも子供らしい言葉遊びにすぎない。一時的に冷やかされはしたものの、母自身がその時私に何かをしたわけではないのである。
それなのに、それがきっかけで私は母を疎ましく思うようになった。
その感情は、はじめはほんの小さなものだった。
母親を嫌いだと思ったことがない人はいないだろう。みんな、それぞれの理由でそれぞれの期間、疎ましく思うものである。私の場合はそれが"小島"という名字がきっかけであったということ、ただそれだけだ。
今ある感情のきっかけを、しつこくねちねちと追跡した結果得られる答えは、いつだってそんな突拍子もないことだった。
母と一緒にいると、なんともいえない不安に襲われた。家で食事をしている時ですら、誰かに見られるとまずい気がして、わざと一緒に食べなくなった。それを家族は"反抗期"だと言って済ませた。
そうだ。
それこそ、反抗期そのものだったのだろうと今では思う。
そして、18になった時、私は都内の大学へ行く事を理由に家を出た。母という存在が私にとってなんとなく不都合なものになり、その発端はクラスメイトにからかわれた事であり、からかわれた理由は私の名字のことである。
手垢にまみれて今にも引きちぎれそうな古い糸をゆっくり手繰れば、その先にある事はいつでも些細な事。
馬鹿馬鹿しいけれど、その手の呪いで私の人格は形成されてきたのだと思う。
私だけじゃない。
いろんな馬鹿馬鹿しい現象の連続を、人は何かを選択する為の基準にする。
母が嫌な人間だから、嫌いになったのではない。
人付き合いが煩わしいから、友達を作らないんじゃない。
文学が好きだから、文学部に入ったんじゃない。
だけど、母の事は嫌いだし、人付き合いは煩わしいし、文学部にはそれなりの努力と苦労をしてまでして入った。
糸の先にあるきっかけは、それはそれはくだらない事。
だがしかし、私はその糸に操られるように拒絶し、選択し、"自分"になった。
そしてそれは誰しもがそうなのだろうと思う。
なんだかよくわからないね。
もう聞きたくなくなった?
こういう話しをするのは、とても嫌だ。
聞いてる人も嫌だろうし、それに、そもそも君には関係ないじゃないか。何にも誰にも関係ない。意味が無いし、無駄だし、ただ嫌なだけだ。
誰かに話したところで理解してもらえるとは思えないし、そもそも理解してほしいとも思っていない。
けれど、その感情すら作り物なのだろうか?
本当は理解してほしいのに、"理解してほしいなんて全然思わない"と、意地を張らなければならない出来事がずっと過去にあったのかもしれない。
そしてその日から私は、ずっと意地を張り続け、"誰にも何も期待しない"という自分に"なった"のかもしれない。
その糸を手繰り寄せれば、呆れる程くだらないモノがぶら下がっているんだろう。
理解してほしいなんて全然思わない。
理解してほしいなんて全然思わない。
理解してほしいなんて全然思わない。
3度呪文のように唱えてみる。自分の本当の感情なのか、そう思わなければならない理由があって、しかたなくそう思おうとしているのか。わからない。
はじめは、何か別に理由があって、"理解してほしいなんて全然思わない"という嘘をついた。そして、嘘が本当になった。
きっとそういうことなんだと思う。
次にどうしたらいいのかわからない。
誰かに決めてほしい。
だけど、それはしたくない。
それもイヤだ。
あれもイヤだ。
他人が大嫌いだ。
自分のことも大嫌いだ。
みんな大嫌いだけど、それも、きっと、初めは嘘だったんだと思う。
嘘が嘘のうちに、「嘘だ!」と言えていたら。
「母さん。僕はからかわれたのがイヤだっただけなんだ。だから、母さんが嫌いなんじゃないんだ」
そう自覚するチャンスはいくらだってあったのに。
だけど、もう遅い。
もう、本当に嫌いになってしまったのだ。もう、本当に、大嫌いなんだ。
うっとおしい。
頭の中でぐるぐるとネガティブな感情が循環する。何かを考えようとしても、いつも何も考えられなかった。今の今まで、一度だって真剣に何かを考えられたことがあっただろうか?
真剣に何かを考えるとは、一体どんなことだろう。
そうだ。
今はどうだろう。
今は、真剣に何かを考えようとしているのではないか?
一体何を?
そうだ。
"彼らについて"だ。